2018年08月03日

認知症の母と接して思う複雑な娘心

今空 午前11時

今日も蝉が賑やかicon01


facebookにも書いたのだけど同じことをここにも・・・


長い投稿になります。

草むしりしたら虫から刺されでかいっちゃかいっちゃ(痒い痒い)と言ってムヒをつける母。
でも母ちゃん、それ冬の間もずっと同じこと言ってんじゃん。
これ!足のこんだどごろも虫から刺さいでかいっちゃ!(痒い)って言うから見てみるとそこは足の指の間。明らかに水虫の症状。

母ちゃん、こんだどご虫から刺さいるわげねーろ。水虫だんねがや?
と言っても、母ちゃんのなかで水虫はとっても恥ずかしいもののようで、おれそんだななるはずねー!とプンスカしながら言う。
そしてムヒを日に何度もつける。

母ちゃんの脳内では痒い→虫刺され→ムヒという方程式が確立されているからこうなると周りが何を言っても聞く耳持たず。
さとこ疲れる〜もういいようにしてくれ!と放置プレイ突入。

母ちゃんが認知症になる前は同じような人を見ると、でって!家の人は何やってんなだや。ちゃんとみでやれよ!と思っていたけど、いざ自分の身近な人がこうなると、あれは仕方なかったんだろうなと思える。

他人の言うことにはとりあえず耳を傾けるけど(聞き分けのない人と思われたくないから)家族の声にはまったく聞き耳持たず。頑固ババァだ。
もうさとこはお手上げだ。母ちゃんのいいようにしてくれ!そう思った。

だけど昨日、痒い痒いという母の耳や足を見たら、完全にカブれてる。これはヤバい!
もう!わたしは何やってたんだ!なんでもっと早くちゃんと見なかったんだよ!という自責の念でいっぱいになってしまった。
だから母をなんとか説得して明日(今日のこと)皮膚科に行くことにした。
説得にかかった時間、約半日。
でもきっと、今日の説得は明日になると振り出しに戻る。皮膚科に行くという約束自体覚えている可能性がどんだけあるのだろうか。ゼロに近いんだろなと思うとなんとも言えない脱力感と胃袋の奥の方が硬くなる感触を覚えてしまう。

母の前では「わたし」という言葉は通用しないことが今年になってわかった。

「さとこはこうしたい!」とか「さとこはこう思う」と娘の名前を耳に入れることで母の理解力に違いがある。

日々忍耐と試行錯誤。
でも今はわたしの頑張りどころだと思う。

がんばるという言葉は、心を壊した経験があるからできれば使いたくない。あの頃の辛い想いが簡単に蘇るからだ。
「がんばる」はまだ許容範囲かもしれない。これが文字で「頑張る」と見てしまうと途端に苦しくなってしまうときがある。
でも今のわたしはたぶん「頑張る」になっていると思う。

こんなこと書いたら、オーラソーマのお客様なんか来なくなる可能性も否めないよなー。
こんなに雁字搦めになってるヤツのコンサルなんて受けたくねーよのー。。。なんてことも思うけど、だけどこれが今のさとこなのだから仕方ない。

本当はこんなこといちいちこんなところで書く必要なんてないとも思う。

だけどもしかしたら、自分の今の気持ちや母の状態がどこかで誰かの何かのヒントになるかもしれないと思った。(おこがましいかもしれないけど…)


認知症になった人に対してのケアの仕方はあちこちで見聞きすることがあります。

否定しちゃいけません
とか
不安になるようなことは言ってはいけません
とか
やりがいを見つけてあげましょう
とか
できることはどんどんさせてあげて自信を失わないようにさせてあげましょう
とか

でも、その陰で踏ん張っている介護家族のケアのことはほとんど見聞きすることはないような気がする。

できることはなるべくしてもらおう
そう思ってはいるけれど、何かをしてもらっても必ずどこかを手直ししないといけないのだ。それをするのは誰?
さとこだよ!

例えば食器を洗ってもらう。
だけど油汚れがあっても洗剤もスポンジも使わない。手でチャチャッと洗ってお終いだ。ちょっと油断するとそれを布巾で拭いてくれるから布巾も油ギッシュだ。

何をどこにしまっておいたかなんて覚えていないこともしょっちゅうだから、次に使うときに探すのが大変。
どごさしまったな?って聞いても、しまってくれた母ちゃんの記憶はすでに忘却の彼方だ。

そういうことも、誰がフォローするんだ?
さとこだよ!

もう何もしないでほしいと思う。
わたしがすべてやったほうがコトは早いし簡単だ。

だけど「やらなくていいから」と言えばショボンとするし、ヤラカシテしまった母ちゃんのこと、怒れない。
怒ってもなんで怒られてるのか理解できないし、「さとこはいっつもおれのごどごしゃぐ」って言われてしまう。
ショボンとする母ちゃんは見たくないし、できるならショボンとさせたくない。

だけどそうしたら?
わたしのこの気持ちはどこへ持っていけばいいんだろう。

なんてことをうっかり誰かに話すと、職種によっては
それはさとこが今大切な学びのときなんだよ。それも親の愛情だよ。ちゃんと受け取らないとね☆
なんて言われたりして。

たしかにその通りだと思う。頭ではちゃんと理解しているつもり。
自分の親が認知症にならなかったらわたしもきっと、同じことを思ったり言ってると思う。
だけど今は、そんな言葉クソ喰らえだと思うさとこがいる。(ごめんなさい)
そんな愛情なんか要らない!
そう思ってしまう。
経験したことがないことを経験している人の前で、知識だけで語ることがどんなに愚かで恥ずかしいことかということを頭ではなく腹で知った。


20歳前に親元を離れて嫁いできて、その嫁ぎ先には小姑が5人もいてそのほかにも年寄りが何人かいる大家族。10年も子宝に恵まれず、ひたすら嫁として頑張ってきた母の今が、みんなに疎まれる認知症になってしまったという現実。
人は生まれてくるときに自分の人生の設計をたててくるというけど、誰が好き好んでこんな最後をプログラミングする?ありえない。そんなスピリチュアルなんてクソ喰らえだと思うさとこがいる。
オーラソーマなんてやってるくせに、クソ喰らえと思うのだ。

今の母の状態は、自分のことは自分でできるから認知の程度でいうと「ごく軽い」という括りになる。
でも家族にしてみれば、認知症に軽いも重いもない。
どんな状態でも、括りは一緒だ。悔しくて悲しくて寂しさ満載の認知症だ。


両親を見送ったらあれしようこれしよう、あそこに行こう…なんて思うわたしがいた。
でもそれは、両親がこの世からいなくなるのを心待ちにしているということではないか、ということに気付いたときに愕然とした。

そんなの悲しすぎる。
だったら介護保険制度をうまく利用していくことも考えないとね☆ということになるのだけど、その話はまたいつか。
これもすったもんだがあったのさ。


結局、今朝の母は「今日は皮膚科に行く」ということを覚えていて、案の定 朝から渋りまくり・・・でもさとこはシカトした。
母の文句はシカトすることにしようmushi
無事に診察してきたよ(^^)

ムヒよりこっちの薬の方が痒み治まるよ~と言ったらご機嫌ちゃんになった。
やっぱり相当痒かったんだね。


それから、「頑張る」という言葉は今はちょっと好きかも・・・と思えることが増えてきた。
あの頃、生きることを頑張ったから今のわたしがいるのだから、この「頑張る」という言葉を大切にしたいと思う。


そしてそして
くら~いことを長々と書いたけど、日々そんなにどろどろした感情を抱えながら生きているわけでもなく、それなりに楽しく過ごしています。
さとこは置かれた場所で咲いてやるのですrose






  


Posted by さとこ at 11:39Comments(4)ひとりごと家族